mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

身軽になれば見えてくる

 私達は結婚してから今まで引っ越しを何度かしました。
家族がいればそれだけ思い出の品や生活必需品なども多く、家族が増える度それは比例して多くなりいつの間にか大変な荷物になっていました。
 特に私は、小物やアクセサリー、バッグや洋服、ぬいぐるみ、アルバム、DVD、ビデオテープ、楽譜、食器、文通をしていた友達からの手紙、一回使ったくらいでずっと眠っている通販で買ったミキサーや調理器具、健康器具、便利商品・・・・などほとんど押し入れやサイドボードにそれらを収納するための家具を買い、またその家具が部屋を圧迫して、人間が狭苦しく暮らすという悪循環で片付かないとイライラしたりしていた頃がありました。今から思えば無駄な物であふれ、お金も時間も心も無駄使いしていたと思います。そういう物にこだわっているうちは大事なものを見落としていたように思います。


 東日本大震災の時、私達は津波でたくさんの家や車や大切な思い出の品、人までも流された現状を目の当たりにしました。
 あの映像を見て、大切な人を失った人々のやりきれない想いや無念さを思い知らされました。家や物が流されたという現実は大変な事ですが、それでも生きてさえいれば乗り越えられるという事を東北の方々から学びました。


 その時、主人と私は大切な人と今一緒に生きている事が何よりかけがえのないどんなに幸せな事かとしみじみ思いました。そして生きていく上で余分な物はいらない、
生活に必要な最小限の物で暮らしていくという選択をする
ようになりました。
 引っ越しをする度に “もう物はいらない。くだらないものがこんなに家の中でねむっていたのか” と自分に呆れました。でも以前は工場で大量生産され作られた物でも命があるから捨てられない、これは我が子が小さい時着ていた服だからとっておこうとか、遊んでいたおもちゃだから捨てられない、あれもこれも思い出があるから、せっかく買ったからもったいないととにかく捨てられない私でした。
 老後はゆっくりまたそれらを押し入れやサイドボードから出して懐かしく思い出す事が老後の楽しみにしていました。思い出から離れられなかったのです。が、東北の震災が教えてくれました。思い出の品が無くなっても思い出は心の中で生き続ける・・・
 この世を去る時はその思い出の品ともお別れをしないといけないし、私にとっては思い出の品ですが、私がこの世を去った後、子供達はそれらを処分しないといけないでしょう、時間とお金を使って・・・そう思うと年々身軽になる事ができました。小さい頃からピアノを弾くことが趣味だった私は結婚してもピアノを持って一緒に何度と引っ越してきましたが、農業を始めた頃から弾く時間がなくなり、今では滅多に弾くことがなくなり子供達も孫たちも ”いらない”と言うのであんなに大事にしていたピアノさえも今年の3月に手放す事ができました。ピアノが占領していたリビングは広々となり、孫が走り廻れるようになると、ピアノだけはとこだわっていた自分が何だったのか?と思いました。
 物に執着(雑念)しているうちはそちらに心を奪われているので大事なものが
見えません。
 
 うちの父はもう50年程前ですが、家を建ててすぐ庭に大きな桜の木を何本も植え、庭のほとんどが池のある日本庭園でそこには大きな岩がいくつも並んだ間に滝もあり、幼かった私はその滝に虹が出るのを見るのが好きだったのですが、“もったいないから水を出すな” と水道の蛇口を止められ・・・滝を作った意味がわかりませんでした。
ただの趣味?自己満足?最初は鯉も飼っていましたが、次々と死んでしまい・・・今では土で埋もれた池。50年も経ったので桜は家を隠すくらい立派になり、娘の私達や孫達に “わしが逝ったあとはこの家をやるぞ” と言われてもその庭や大きな桜の木を撤去しないと家が建て替えられない。それを撤去するには400万円程かかると業者に言われ、誰も欲しがらない家。
 その時の事は考えようとしていません。家の中は “もったいないから捨てられない”と言う母なので大変な荷物。一番上の姉が離婚した時の荷物や私達が小さかった頃の思い出の品にすがり、執着し、大きな家は物で溢れています。“父や母がこの世からいなくなったら私達が片づけないといけないから今のうちに片付けよう” といらないものを処分しようとすると、“それはだめ。それもだめ。それもとっておく・・・” と結局片付かないのです。捨てられないのです。物がないと不安なのでしょう。物に囲まれていると安心するようです。気づいて欲しいのですが・・・長年商売をしてきたせいか人に裏切られたりという経験からか人を信用できないみたいです。かわいそうだなと思います。
 母はよく人を “あの人はああだ、こうだ” と信用する事ができず批判し、何か自分にとって都合が悪い事があるとその人を悪い人だと言いきります。そばで私は、”一面だけで判断してはいけない、その人にはその人なりの事情があるのだから” と言うのですが・・・
もうあと何年生きられるか(肉体の限界)わからないのですが、無駄に死へ向かっているように思えます。先人としてもっと後に続く人達が学べるような余生を過ごしてほしいと
願うばかりです。気づけないのはしんどい
なと思うばかりです。