mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

某家具屋の騒動は他人事?

 その年の秋は最後の収穫となりました。約7年間、何度も失敗を経験し、やっと無農薬で収穫量も今までで最も多く、味も良く、毎年買って下さっていたお客様からも“今までで今年のが一番美味しい!”と感動のメールもたくさんいただき、何度も足を運んで買いに来て下さったお客様達も、収穫後も“まだ欲しいんだけどあります?”と後を絶ず・・・

ありがたい事に大盛況で幕を閉じる事ができました。

 以前いた場所に戻りまた新たな出発で私達を待っていたのは、厳しい現実でした。

私も農業をする前まで20年近く手伝っていたので懐かしい思いで帰ったのですが・・・

私がいない間にいろんな事が変わっていました。新しい社員さんも何人かおられ、また

親族でも私達が帰ってくるのを快く思っていない人も何人かいて・・・私達を警戒しているようで、突然帰ってきてどうする気?という受け入れがたい表情。そこには厚い壁が。

業績もさがっているのにみんな危機感はない。今の現状を誰も変えようとしない。とりあえず出社して必死に働かなくても1日おもしろおかしく過ごせば前よりは少なくなった給料でも支給される・・・

5年先の自分、10年先の自分を誰も見ていない。見ようとしていない。みんながキリギリスに見えた。

 私達はまずできるところからしていかなければという思いでAM3:00に出勤してPM6:00頃まで、休日も社員さんは休ませて私達だけはなりふり構わず必死に働いた。

御盆休みの配達も遠い町まで主人と2人で行きました。その日は、朝から猛暑というのもありましたが、荷を全部降ろし終えた主人はふらふらになっていました。それまでの1ヶ月以上私達は休んでいなかったのです。私は軽トラックは運転できるけど、2トンは運転した事がありませんでした。でも、ふらふらの主人を見たら、いてもたってもいられず運転席に座り、“私が運転する!”と主人が“いいよ、何とか運転できるから”というのも聞かず、ハンドルを放さなかったんです。でも本当は怖くて心臓がばくばく打っていました。不安でした。が、火事場の馬鹿力というのでしょうか?なんとか無事に帰る事ができました。主人は疲れていたのでず~っと眠っていました。私の運転に不安があったでしょうに。

 それからは私もトラックに重い荷物を男の人と同じように積んで配達にも行けるように

なりました。びっくりです!あんなに軽トラックを乗るのが恥ずかしかったのに2トントラックに乗って、道の狭い街中も通っているなんて。人間やればできるという事がわかりました。以前はやる前から”私には無理!””できるはずがない”とあきらめて挑戦しようとしなかった私がこの体験から学んだ。フォークリフトも乗れるようになった。

 それでも周りは他人事のようでした。私達が一生懸命すればするほど周りはしらけていく。“これを変えてみよう””ああしてみよう!”、得意先を見つけてきても反対され抵抗される。居心地のよかった場所を私達が脅かすように思ったのでしょう。変化を恐れていました。誰も理解しようとしてくれない。あんなに喜んで受け入れてくれ快く迎えてくれていたはずの両親や姉も・・・

 某家具屋の騒動は他人事ではなかった。私と両親はぶつかり合うばかり。

“今までのやり方では、これからは生き残れない。私達は農業をやめてまできたのに!”

と訴えるが、伝わらない。溝はどんどん深まるばかり。私達が帰った場所は困難の入り口だった。