mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

寝ぼけていた私の魂もようやく

   一昨日はお彼岸。お盆にも仕事があり我が家はお墓参りへ行けなかったので姑を誘い主人と3人で県外にあるお墓へ行きました。お墓の近くに住む弟にも声を掛け、弟の家族と一緒にわいわい賑やかなお墓参りで、お嫁に来た頃の私とはこんなにも気持ちが変わった事が信じられないほど楽しいひとときを過ごしました。本当に不思議な事ですね。
楽しく過ごすのも過ごさないのも自分の気持ち一つなのだと改めて思えるのです。それはそれまで眠っていたもともとの魂が私もようやく目覚めたのだろうと思います。
 木村藤子先生は、目覚めていない魂を ” 寝ぼけた魂 ” と表現されています。
自分が人間だ人間だと思っているうちは寝ぼけているのでしょう。 その中にある魂、
霊体だという事に気づいていないのです。


 お墓参りの帰りの車の中で姑がよく高野山へ参ると言う話をしました。姑は四国のお遍路へもよく行っています。
 主人は何度も高野山やお遍路に出かけているので姑にお墓で唱えた ”南無大師遍照金剛” (うちは真言宗なので)の意味を聞いたのですが、姑は 
 ”知らない、わからない” と言います。主人は、 
 ” 高野山やお遍路はなぜ行くの? お経を勉強したりしないの? したいと思って行くんじゃないの? 自分の人生を振り返ったり、自分を高めたい、悟りたいと思って行っているんじゃないの? ” と。でも姑は、時間があるから、家にいてもする事がないから、誘われるから・・・のような理由のようで、物見遊山だという事からこの生を終えた後の話やお経の意味を話しながら帰りました。
 そんな話をするうち私は人が亡くなった時、お坊さんがお経(般若心経の場合)を唱えるのはその魂に呼びかけているのではないか? そして寝ぼけた魂のまま霊界へ帰る人へ少しでも気づいて欲しいからまた、迷わず霊界へ帰れるように魂に呼びかけているのではないかと思えるのです。若い頃は全くお経に興味などなかった私ですが年々年を重ねる中、いろんな出来事を経験し、心の葛藤を乗り越えるうち、法事やお葬式などで何度もお経を聞いていると何となくこの世の仕組みを説いているように聞こえてきました。
(これからも少しづつですがお経の意味を勉強したいと思いました。)
 
 死んで肉体から魂が抜け出た時に初めて気づく。
色不異空(形あるものは実体がない)
空不異色(実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである)
色即是空(実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ)
是諸法空想(この世の中のあらゆる存在や現象には実態がない、という性質があるから)
( )内の訳は故花山勝友氏によるものです。
今まで見えていたもの=肉体に縛られることは意味のない事だと。肉体は滅んでも霊界へ帰り自分の人生を振り返り何が至らなかったか、自分の不足に気づきその不足を正す為にまた何度も何度も生まれ変わる中で、自分の霊格(魂)を上げていく事が神の願いなのだと気づけます。
 ”死んだらここに帰ります” という本でも今、地球は利己的、自己中心的な人が増え霊界でも危惧していると書かれています。まず利他的にならなければ霊格は向上しないと書かれています。
これは知花先生もCDの中で何度も何度も言われています。
 ” 私は人間です。個人ですというのはやめなさい。もっと大きな霊的存在になりなさい。そして献身的で利他的でなければならないのです ” と。
 
 妬み、嫉み、恨み、憎しみ、怒り・・・・・が渦巻く社会は良くない事に気づきます。だから少しでも楽しく暮らそうと思います。楽しいと言っても、面白おかしく時間の無駄使いをする事ではなく、人を妬んだり、羨んだり、怒ったりしないで自分の心の持ち方一つで同じ1日を気持ちよく過ごすように心掛けるようにしています。
 誰もが気持ちよく過ごせるようになれば、この世はすぐ天国になります。反対に人に八つ当たりしたり、不機嫌をぶつけるとその不機嫌が蔓延していきます。大げさかもしれませんがそれが社会へ蔓延する事もあると思うのです。
 会社へ着くと毎朝必ず一人一人に挨拶もします。気持ちがいいですよね。それだけで
1日が気持ちよく過ごせるような気分になります。
 ささやかですが買い物に行ってもレジでもなるべく笑顔で接するようにしています。
私が知らない人だから大切にしないのではなく知らない人でも優しく接する事でその方が笑顔を返してくれます。そしてその笑顔が社会に広がっていけばいいなと願っています。
自分の心掛け一つですよね。継続が結構大変ですけどね。