mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

ナイチンゲールの利他愛

 以前けちだった私は、主人が人の為にお金を使ったりお祝いをいくら包んで欲しいと言われたりする度、正直言って心から喜んでいませんでした。
 心のどこかで渋っていて、でも主人の気持ちも汲みたかったから仕方なくそうしていたのできっと顔はその都度、引きつっていたと思います。まだまだ利己的で利他愛ではなかったからだと思います。
 なぜ、私達が苦労して手に入れたお金を人の為に使わなければならないの?(少額な募金はしていましたが)という気持ちが強く、金額が大きくなればなるほど人の為に使えば
しばらくは倹約をしなければならないので自分達を犠牲にしているような気持になってしまっていました。
 でも、お金と言うのは靴で例えると、小さすぎても痛いし、大きすぎても歩きにくく脱げやすくなったりします。ちょうどいい大きさが履き心地良いと言う事です。
贅沢する必要もなく、暮らせればいいと思うようになりましたし、霊界へ持って行けるのはお金や財産ではなく、魂を磨いて帰って行く事が神の願いなのですから、今は主人程ではありませんが気持ちよく人の為にお金を使えれるようになりました。


 この世でよく ”お金持ちになりたい” とか、”有名になりたい” とか、名声や財産を
手に入れたいと願う人は少なくありません。目的はどうであれ頑張るという事には価値が
ある思います。ただ、霊界へ行くと名声や財産には価値がないのだという事なのです。
どれだけ人の為に尽くしたか。不調和を起こさず調和をとれていたか。ボランティアに参加するにも、人から良い人だと言われたいから(思われたい=利己)参加しているのか、心の底から人の為に役に立ちたい(利他愛)と思って参加しているかでは違うのだと知花先生は言われています。


 子供達が小学生の頃一緒にナイチンゲールの伝記本を読んだ事がありました。
彼女は、父親が資産家だったので裕福な家庭に生まれながらも、自分の為にお金を使う事はほとんどなかったようで(生活費のみ)、看護学校を一番の理解者である父親に出してもらって建設したり、人(患者)の為に使い、人生の半分(亡くなるまでの50年ほどは
病気を患いベッドで過ごす事が多かったようです)をほとんど人(患者)の為に捧げたようです。病いがうつると解っていても、献身的に患者の為に働き、戦争中で食べ物が届かない時でも自分は食べなくても患者さんに与え、夜中も自分の睡眠も削って見回りをし、
正に献身的。
 これが真の利他愛なのだと思います。ナイチンゲールは、自分を犠牲にしているとは思っていなかったのではないでしょうか? 自分を犠牲にしていると思っていてはできるはずがないからです。
 クリミア戦争での苦しい経験から、
一人では多勢を救う事は難しく、肉体には限界がある。だからこそ、自分と同じように治療を必要とする方の為に献身的に奉仕できる方々(精神を養う)を育て増やしていかなければならないと思い看護学校を設立したのだろうと思います。
そこにはナイチンゲールの ”想い” があったからこそ、形になり、今もその精神が世界中に受け継がれている。正に神です。神が現れた方だったと思います。


 以前は自分の身の周りの人に贈り物をしたりする事はありましたが、それ以外の人にはなかなかできませんでした。恥ずかしいというのもありましたし、少しのものを差し出すのも失礼かな?とかその方が貧しいわけではないのに、”どうぞ” と与えるのも上から目線の傲慢に見られるんじゃないかな?・・・といろんな事を考えては結局できませんでした。(お世話になった時などはできていましたが何もない時にはしなくてもいいかな?と思っていたので)
 ですがそういう事が何気なくできる主人は、最近頻繁に明治製菓の箱入りチョコレート(少し値段が高い?)を買ってきては、従業員さんや他の業者の方や出入りする方いろんな方どの方にと選ばず2~3個手に取り 
 ”はい、いつもありがとう!お世話になります。チョコ―レートどうぞ。” とプレゼント(渡す)しています。わずかなのに皆さんとても喜ばれるのです。
 
 一番驚いたのは、いつも暗い表情で笑顔を見せた事もなかった年配(推定62歳くらい)の業者の方が、主人にそう言われて手渡された瞬間、今まで見た事もないとても幸せそうな笑顔で、”いいの?ありがとう!本当にもらっていいの?やった~!食べちゃお~” と嬉しそうにチョコレートを口に入れてニコニコして帰られました。その様子を見て、その方に対する印象がガラリと変わりました。そして素直に喜ばれているこの方を見ていて私の方が嬉しくなりました。


 また、今も私に対して何か腹を立ててツンツンしている方(以前にも”私の失敗”で書いた方=この方も負けず嫌いな方で勝ち気です)に対して今の私は何も悪い感情はなくただただその方が苦しんでおられるように見えて仕方ないのです。
思い一つで楽に軽くなれるのにと思うのですが、相手が私に求めていないので心の中で ”どうかいつかは気づいて乗り越えれますように” と願っているのですが・・・相手はまだ私を好きになれないような態度を以前よりは和らぎましたが見せます。
 その方がうちへ集金に来られた時に、私は主人が買ってきたチョコレートを2つその方へ 
 ”いつもお世話になります。はいこれ、よかったらどうぞ” と目を見て丁寧にお渡しすると、その方が ”え~もらっていいの?ありがとう!” と喜ばれ、しばらく自然と話ができるようになるのです。すごいですよね、チョコレートの力? 一瞬の出来事かもしれませんが、不思議な魔法があるみたいです。この方もあの方も私と思えば自然と愛しむ事ができます。
 目の前の方の喜んだ顔を見たいと思えばいいのだと。自分がして欲しい事を相手にすれば自ずと気持ちが晴れて明るい気持ち(高いエネルギー)になれるのだと。
 
 昨日は、街角の交差点で信号を待っていると、後ろで中年のサラリーマンが少し見た目はチャラい今時の若者?2人組に道を尋ねていました。そして若者が駅までの道を何度も目印になるお店を教えると、
 ”ありがとう!” と言って歩き始めたサラリーマンにまた、
 ”突き当りに〇〇があるからそこを右へ!” と大きな声で言いました。
そしてその声にまた手を振るサラリーマンを見て彼は、
 ”ああっ、俺いいことした~。今日はぐっすり寝れそうだわ。いい事すると気持ちいいよな~” 
 と一緒にいた友達に言いました。
私もその方のお蔭でとてもすがすがしい気持ちになる事ができ、前列でニコニコしていました。(前方で待っている人は気持ち悪いでしょうが)
 その方にやはり神がおられるのだと。それが人の為にできる事=利他愛なのだと思いました。


世界中のいろんな場所がそんな出来事で包まれたら・・・と願っています。


今日も宇宙すべてに感謝! そして世界中の人達が幸せでありますように。