mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

宮沢賢治の利他愛に学ぶ

主人が高校の頃からよく読んでいた宮沢賢治の詩にも利他愛を感じます。
主人は宮沢賢治のようでありたいといつも言っています。


   “雨にも負けず”(原書はカタカナですが解りずらいので)


 雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ、


丈夫な体を持ち、欲はなく、決して威張らず、いつも静かに笑っている。


一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ、あらゆることを、


自分を勘定にいれずに、良く見聞きし解り、そして忘れず、


野原の松の林の蔭の小さな茅葺の小屋にいて、東に病気の子供あれば行って看病してや


り、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、


南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い、日照りの時は涙を流し、


寒さの夏はおろおろ歩き、みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、


苦にもされず、そういう者に私はなりたい。“


 私の母は幼い頃母親を病気で亡くし、祖父に大変可愛がられたと言います。その後祖父は、太平洋戦争(第二次世界大戦)へ召集されフィリピンに送られていたそうです。
食べるものもろくになく、ひどい環境に強いられた祖父達でしたが、そんな祖父達は現地の村の方々も大変だっただろうと思うのですがお世話になったと言っていました。
そんな触れ合いが戦争の中での辛い環境を癒してくれたそうです。現地の方の協力もあり大工だった祖父が船を造り仲間5人と乗り込み海へと逃げていたところを、アメリカ兵に見つかってしまい皆海へ逃げ込んだのですが、祖父の両隣の方々が撃たれ死んでしまったそうです。祖父は運よく生き残り、その小さな船で漂っていたところ、日本海軍の船に助けられ、生きて帰還したのだと言います。
 
 そして終戦後日本に帰った祖父は、周りに進められた方と再婚しました。それから下に3人の妹弟が産まれましたが、戦後の日本は貧しく両親と妻、4人の子供と一家8人を養っていくのは大変だったようで、大工だった祖父は朝早くから晩遅くまでそれはそれは働いたそうです。
この時代の方は皆そうだったのかもしれません。武田鉄矢さんのコンサートへ行った事がありますが、あの有名な “母に捧げるバラード” の中でも、


 “死ぬ気で働いてみろ!てつや、働いて、働いて、働きぬいて、遊びたいとか、休みたいとか、そんなこといっぺんでも思うてみろ。そん時ゃ、てつや、死ね!”・・・
 
 私はこの会社へ戻って来た頃、夜中の暗い時間から日が暮れた暗い時間まで働き、
何か月も休みがなく ”なぜ私達だけこんなに働いているの?いい加減休みたいよ!” と思った時にはこの曲を思い出して、鉄矢さんのお母さんはすごい人だったんだと思いました。私なんてこの時代の方々に比べたらまだまだ働いていないのに、弱音を吐いて・・・自分が情けなくなりました。
 
 また母から聞いた祖父の話も時々思い出します。小さい頃から義理の母に嫌われないように手伝いや下の妹や弟の世話をしていた母は、義理の母に言う事もそれ以上に家族の為に懸命に働きトイレで血を流していた父親(祖父)に修学旅行へ行きたいとはとても言えなかったと言います。が優しい祖父はある日、学校からの案内を見つけて “なぜ言ってくれなかったのか?” と問うてきました。そして祖父は “お母さん(義理の母)に何と言われても、お金はどうにかしてわしが修学旅行に行かせてやる。” と言ってくれたと。
そんな祖父が私も大好きでした。


 もう30年程前に他界しましたが、祖父の怒ったところも怒った顔も見たことがありません。いつもにこやかで観音様のような人でした。
 贅沢もせず、人の悪口を言うこともなく、物静かでしたが決して暗くなくいつも笑顔で人を笑わせようとするユーモアがあり、困っている人に声を掛けたり、助けたり、大工だったので、家を建てた先のある1軒が建てた時に事情が変わりお金が払えないと困っていたら、どうしてももらう事ができなかったと母がそこの家の近くを通る度に話します。
 母も叔父たちも祖父に怒られた事がないと言います。晩年は寝たきりになりましたが、
寝たきりになっても決して腐らず、自由にならないからと言って当たり散らしたりせず、人が大好きで、冗談を言って笑わせたり、その頃はまだ今のように介護ができる施設がなかったのもそうですが、家で寝たきりの看病(15年の間)を献身的にしている祖母に
感謝を忘れず ”ありがとう” と言いながらいつも涙を流していた姿が忘れられません。
 学ぶべきところが多い祖父でした。この宮沢賢治の詩を読んでは、自分の事よりいつも人の為にしてあげられることをする祖父を思い出すのです。祖父の魂は成熟していたように思いますが・・・それでも知花先生は、”自分の来たところも帰るところもわからなければ、いくらいい人でも天上界に帰る事はできませんよ。またこの地上界に戻ってきますよ。” と言われるので、祖父もこの世に生まれ変わりもう新たな人生を送っているのかもしれません。


そういう者(魂)に私もなりたい。


今日も宇宙すべてに感謝です。そして世界中の皆様が幸せでありますように。