mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

自我は偽物、真我が本物

 私は、何十年も姑を許す事ができずにいました。
 ”姑と一緒のお墓だけは入りたくない”と
結婚した頃からずっと思っていました。うちは県外にお墓があるので、
近くに墓地を買って新しくお墓を建ててそこへ私達夫婦から入り、長男夫婦、またその
長男夫婦・・・と繋がって行ければいいな~と思っていました。でも今は、お墓は空っぽだという事がわかったので、お墓を建てる事は考えていません。
 それぐらい姑が嫌いで憎んでいました。それでも主人はいつも義母(姑)の事を気にかけ、
 ”今度の日曜は顔を見せに行ってあげよう。” とか、
 ”母の日にご飯を食べに連れて行ってあげよう” とか言う度私は、”そうね。” と言いながら、顔は引きつっていました。心の中では、
 ”え~会いたくないな~” とか、”そこまでしてあげてもありがたがられないよ~” とか思っていました。姑との思い出がトラウマのようになっていたからです。


 ですが、姑が60歳の頃(今から20年程前)、50ccのバイクに乗って通勤していたところ乗用車とぶつかり救急車で運ばれたと同僚の方からお電話をいただい事がありました。
 あんなに憎んでいたはずなのに、電話口の私は動悸をうち、手が震えどうしようと慌てふためく程、動揺したのです。主人は県北の方へ仕事で出かけていたので、とにかく一人で病院へ急ぎました。
 病室の前まで行くと、看護婦さんと話す姑の声が聞こえてきました。
そろそろと中へ入り姑の顔を見たとたん、私は涙が込み上げてきたのです。安堵の涙だったのです。”あ~無事だったんだ。” とほっとしたのです。そんな自分に驚きました。
姑の顔を見るまで私は本気で心配していたのです。その時、心の底から憎んでいるわけではなかったんだという事に気づきました。
 
 それまで私は、この世の中で姑が1番許せないと思っていた人でした。また、こんなに
憎いと思った人もそれまではいませんでした。
でも、それは私が前世で蒔いた種なのだと。姑を前世できっと苦しめたのだろうと。
その苦しめた姑が、愛する人の大切な母(継母ですが)となって現れ、それでも私を憎みますか?人を憎んではいけないという事を教えてくれたのです。
 
 知花先生は言われます。
 ”その人のうわべの目で見える肉体の自我がそうさせているだけなんですよ。悪い表現をしているだけなんですよ。それは真実ではありませんよ。あなたはその肉だけを見て、真実だと捉えるから苦しむんですよ。その中にある真我(神)に気づけばその悪い表現がどうなりますか?いい表現に変わるんじゃないですか?目に見えるものを本物と捉えるからしんどいのですよ。自我は偽物で真我(神)が本物ですよ。真実ですよ。” 
 
 その意味が今はよくわかります。姑が言っている言葉・・・それは真実ではありません。みんな神であって、愛なんです。私に気づかせようと思って言ってくれていたんです。それは ”愛” なんです。


 私の両親との間にもいろんな出来事がありました。でもそれは悪い表現をしているだけなんです。真実ではないのです。みんな神であって、愛なんです。だから、悪い表現をしても、今の私はカリカリきません。神だと思えるようになると、穏やかな気持ちで聞いていられるようになったのです。周りでカリカリ、イライラしても、そのイライラやカリカリが移らなくなり、相手を受け入れる器が以前よりは大きくなったのではないかなと思います。主人もそう言ってくれるようになりました。


 昨日も知花先生のCDを車の中で主人と聞きながら、風天教室に出かけました。
 
 ”私はあなた方一人でも今生で自分の欠点(悪いカルマ)に気づいて、愛に生きて幸せになってくれることが私の願いで喜びなのです。気づかないで迷い人のまま、また気の遠くなるような
輪廻を繰り返して苦しむ顔を見るのが辛いのです。どうか、大霊(神)なんだと気づいて欠点(悪いカルマ)を1つでも直して、悟って神の国へ入れることを祈っています。” 
 
 私は、CDを聞きながら涙が溢れてきました。気づかせてくれた、姑や両親を憎まずにいられる、そして今では憎む人は誰もいない事、姑や両親が喜んだ顔を見れることがとても幸せに思えるようになり良い関係でいられるようになった事に感謝しています。


今日も宇宙すべてに感謝です。そして世界中の皆様が幸せでありますように。