mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

両親との関係

 その後2年くらい長いトンネルを2人で必死に手探りで歩きました。その間も主人は

社員にもお客様にも一生懸命大きいな声であいさつをし、コミュニケ―ションを取り、

”自分はいつでもバックアップします”と社員を励まし続け、プライベートの相談も乗ったり、社員さんとの壁はなくなっていったように思えました。また得意先の方にも出来る限り足を運び、どうしたら役に立てるかを常に考えていくうち信頼を得る関係が築け、売上も少しづつ伸びて行きました。業績は前年より年々善くなり、私達が帰ってくる前は、池井戸潤のドラマ”下町ロケット”や”ルーズベルトゲーム”でもあったように、わが社も追加融資を受けられない状態にありましたが、有難い事に今では銀行の方が次から次から融資のお話を持って来て下さるようなるほど回復したので、一昨年の冬には7年ぶりのボーナスを支給できた。社員さんも以前とは変わり、もう誰が悪いからとか陰口を言う人も、愚痴を言い合ったり、さぼる人も、お茶を飲みながらおしゃべりばかりしていた人達も、次から次へ自分で考えながら仕事を進めていき、休憩する暇もないくらい。

会社は活気が出て、以前とは見違えるほど働いています。

 が、私の問題は両親と姉との険悪な関係でした。あんなに泥沼のような状態だったので、両親も姉も私を怖がっていました。両親や姉の事を主人から”あの人達はずっとここでやってきたから気づかない事やわからない事もたくさんあるんだよ。でも思いはわかってあげないといけないよ。相手を否定していてはいけないよ。それでも精一杯した結果がそうだったんだから、責めてはいけないよ。お義父さん達がいたからこの会社があるんだから。あるから僕たちはこのステージに立てているんだよ。感謝しよう。親子なんだからもっと話をしないと後できっと後悔するよ”とぶつかる度に教えられました。そう言われてもなかなか話す気にはなれなかった。

 こちらへ帰ってくるまでは私達の関係は良好だった。農業をしていた時も農園へ何度か

来てくれては労ってくれたり、天候が悪い年は心配してくれたり、応援してくれたりしていました。

父は昔から厳しく雷おやじで、いつも怒鳴られていましたので私達は父の顔色を見て育ちました。それでも姉妹の中で私は一番父の傍で大きくなりましたが、思春期の頃から父親と口をきかなくなっていきました。昔のおやじはよく”誰のおかげで飯食ってんだ!”とか

”誰のおかげで大きくなったと思ってんだ!一人で大きくなったと思うな!”とか言われて

育ったので、どこか育ててもらった恩を忘れてはいけないみたいな気持があって言いたい事があっても遠慮がちになっていました。

 こちらへ帰ってからは私も必死だったので年老いた父に今度は私の方が怒鳴っていました。もう人生も終わりに近づき会社の事もどうしたらいいのか、このまま私達に任せても大丈夫なのだろうか?父も父なりに悩み考えていたのだろうと思います。もともと無口な父だったので私も何を考えているのかわからずいらいらして意思の疎通がとれず・・・

でも主人が言ったようにこのままの状態で今もし、両親が他界したらきっと後悔するんだろうな・・・このままではいけないと思うと少しづつ、話をする努力をした。急に笑顔で目を合わせて話す事はできなかったけれど、私が声を掛けると父や母の方も少しづつ答えてくれるようになった。そうなるうち日に日に肩に力が入っていた私も両親もほぐれていき、普通に昔話や経営の話や世間話などできるようになっていった。この時も自分が変われば相手は変わる事を実感した。自分が嫌っている相手にはなぜか伝わり、その人も自分を避けるようになるけれど、こちらが面と向かって声を掛ければ、返してくれる。笑顔で話せばもっと笑顔で返してくれる。人は本当は怖がりなんだと思う。あの人は私を嫌っているんじゃないだろうか?とか何か自分に言われるんじゃないだろうか?責められるんじゃないだろうか?とか不安を持っている。でも相手が面と向かい合ってくれたらまじめに受け止めようとする。人間は本当はみんないい人なんだと思う。ただいろんな環境でそうせざる負えなくなってしまうのではないでしょうか?決して悪い人はいないと思えるのです。