mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

後悔しない生き方を心掛ける

  3月11日東日本大震災から6年。あの日亡くなった方々はあの日亡くなるとは思ってはいなかったのではないでしょうか? 私達は誰しも明日死ぬとは思ってもいませんよね。あの日亡くなる事がわかっていれば、後悔なく生きられたのではないだろうかと誰もが思ったのではないでしょうか? あの日犠牲になった方々が私達に大切な事を教えてくれたのです。津波がたくさんの物を飲み込んで行った。人も家も車もいろいろなを・・・
そして私達はいつ死ぬかわからない、明日死ぬかもしれないという事を。


   私達は死んだら今、目で見えている物質界(3次元)ではない別の異次元で今と同じ意識(レベル)で生きる事になります。現在この世で人を憎んだり、自分の事は省みず相手(隣人)を責めたり、恨んだり利己的な生き方をしていたとしたら・・・この世のもの(お金や家や車や宝石や・・・)に執着し過ぎて、隣人を粗末にしていたら・・・うすっぺらなものばかりを追っていたら・・・その為に隣人や誰かを傷つけていたら・・・この世で心(内側・霊的な事)を重んじて生きていなくても幸せでしょうか? 物質的な物や外面的な事だけでは幸せにはなれないという事に気づかせるために神が物質世界(肉意識)へ私達を閉じ込めたのです。そして前世で作ったカルマの精算をする事で霊魂(霊性、霊格)の向上になりやがて利他愛に目覚める事が神の望みなのです。
その事に気づく事ができなければ、成長する事もないまま(霊格)死んだ後も何十年、何百年、時には何千年と苦しむ事になるのです。どうすれば幸せになれるのかと自分の内面を見つめなければならないのです。


    幸せとは一人では得られません。一人で得られる幸せは利己、エゴ(欲)です。
人間(魂)とは、他の為に無私になり奉仕(献身的)する事で幸せを感じられるようになっています。私達は神であって神の分霊=大霊です。死んで肉体が亡くなれば、私達は霊魂だけになります。人間でいる時は、肉体の中にある心(霊魂)というものは見えにくいもので、時に表現として現れたりはしますが、大抵の人は表面しか見ませんからわかりにくいものです。深く付き合っていかなければなかなかわかるものではないものです。
死んだ後、指導霊と一緒に今まで生きてきた人生の一瞬一瞬がスクリーンに映像が流され、どこがいけなかったのか?とその時、改めて自責の念にかられたり、後悔をすると言われます。死んで後悔するより、今、明日死ぬと思って生きる事が大切だという事に気づかされます。目的が分からず生きている方が大半なのです。この世は修行の場なのです。修行と言えば多くの方は、お寺での辛い修行を想像しますが知花先生も木村藤子さんも自分の体を痛め付ける修行(滝行や火渡りのような)は意味がないと言われています。
 私達は日々の生活の中で、人それぞれ大小はありますが(カルマにより)修行をしています。そして、問題となって私達の目の前に現れます。乗り越えなければならないカルマです。
乗り越える事によって、霊性が高められていくのです。ですが、大半の人はこの問題(カルマ)から逃げようとします。私もこのカルマがよくわかります。
 
 以前、今の会社(父が経営していた頃)で20年近く働いていました。でも、その時の私は、物質世界にどっぷり浸っていたので、意識レベル(霊格)もかなり低かったと思います。毎日会社へ行っても霊性の向上には何の意味のない馬鹿な事を言い、おもしろおかしく過ごしていました。だから叔父達や他の社員さん達とよくぶつかっていました。
それでも知花先生が言われるような、
 “ぶつかり合う事(不調和を起こす)はいいことですよ。ぶつかった時になぜ?って考えるでしょ?自分の欠点(カルマ)に気づく事ができるのですから。” 木村藤子先生も “自分の不足(至らないところ)に気づく事が大切なのですよ。” と。でも、あの頃の私は、自分が正しい、相手(ぶつかる人)が悪い、間違っていると決めつけて、自分を省みる事はありませんでした。
 その為、自分で居心地を悪くしストレスを感じ、会社が嫌いになっていました。今から考えると会社を継ぐなんて事はこれっぽっちも考えられないくらい嫌な場所でした。だから、息子が農業をしたい、そして主人が "一人では農業はきついぞ。父ちゃんも手伝う。“ と決意した事が私にとってはこれ幸いとばかりに農業(田舎)へ逃げる絶好のチャンスとなり会社を去れたのです。が、神様は ”逃げたところへ帰りなさい“ と言われたのです。そして以前よりはるかに嫌な場所で新たに両親や姉との関係が泥沼という場所に帰らされたのです。一時は絶望的な状況に突き落とされ私はうつ病にもなりかけ、
 ”こんな会社もうどうでもいい!なぜ私達が継がないといけないの?誰も私達の苦労なんてわかってはくれないのに!こんな会社潰したほうがいい!“ とまで思い主人に訴えました。その時、今まで励まし続けてくれていた主人が ”mimiがどうしても無理ならやめた方がいいね。もう病気になりかけているもんね。僕は前していた仕事に戻るから、mimiも自分のやりたいことをしたらいいよ“ と言いました。その言葉で気づいたのです。
 主人はいつも人の為、自分より人(他)を尊重し、父の想いを一番に考えて帰ってきました。また、社員さん達の事も考えて帰ってきました。なのに私の気持ちを尊重して辞めてしまえば、主人の想いを踏みにじる事になると気づいたのです。そして負けず嫌いな私は、ここで尻尾をまいて辞めてしまうわけにはいかないと歯を喰いしばりうつ病になんかなるものか!と毎日少しづつ這い上がる事ができました。自分の気持ちよい場所に変えて行けばいいんだと。あんなに顔も見たくなかった両親や姉と普通に話ができるようになれ、力にもなれるようにもなれた。あのまま両親と仲たがいしたままお別れをしなくてよかったと思える私になれた。そんな気持ちになれたのも、主人がいつも ”してあげる事ができるんだからすればいいんだよ。してあげられることが幸せなんだよ。“ 
 つまり利他愛を教え続けてくれた事、そして知花先生や木村藤子先生がこの世の真理を教えてくれたからなのです。そのお蔭で私は乗り越えなければならないカルマをひとつ超えられたのだと。あの頃は会社を経営している家庭に生まれてきた事に悩みました。
サラリーマン家庭に生まれてくれば会社の事で親とぶつかる事はなく平和な親子関係でいられたのではないか?と。でもそれは神が私に気づくようにと配慮してくれた事なのです。そして今では気づかせてくれた嫌な役を演じてくれた両親に感謝ができるのです。
 毎日後悔しないように生きる事を心がけて生きていきたいですね。