mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

私達は神によって生かされている事を知るべき

  真理を知れば、この世は結果の世界だという事がはっきりわかるようになります。
この世で起きる全ては、神によって支配されている為に起こるべくして起こる。
不公平だと思われる事も矛盾だと思われる事も全て・・・


  私達が生まれてきた原因と言うのは、造り主である神(生命)によってです。


  私達は生きた神の宮なのです。神は私達のハートheart、心臓に生きています。
心臓が止まれば私達の肉体はもう動く事はありませんよね。
私達はたまたまこの地球に生まれ落ち、自分が勝手に生きていると思っていますがそうではないのです。
 神によって生かされています。天命=生まれる日もこの世を去る日も一人一人神の意志によって決められています。自分で決めているのではありません。
 人生を途中で投げ出したり、食べたいものだけを好きなだけ食べたり、寿命を短くするような生活習慣を送ったり、自ら命を縮めたりする事は、神の意志に逆らった生き方なのです。その食べ物を血や肉に変えてくれている細胞一つ一つに神が宿っています
 どんなに神は私達の為に働いてくれているのでしょうか。人間の体というものはとても精巧にできています。まさに神が造ったものだからです。私達の命を預かっているのは神であって、どこそこの医者だとか言うのはおかしいのです。
 私達の体に例えると、自分の体は全体・神と一体で、その中にある細胞一つ一つが私達です。隣の細胞も自分であり全体の一つの神でもある。隣の人(細胞)を憎んでいるという事はすなわち自分を憎んでいる事と同時に全体(神)を憎んでいる事になります。
 一つのがん細胞(悪人=悪い想念、悪い行動)があると隣へ移り、またその隣へ移り、そしてやがては全体へ移り滅んでいきます。また、人間の細胞というのは、その人間の
想念が思いの外影響します。悪い想念や怒り、不安、不満を抱けばそれが細胞に伝わり傷つけてしまいます。一つの細胞が傷つくとその細胞が壊れそれが隣へと移っていき・・・やがて病気として現れてきます。一か所でも悪いところがあればそれは全体へと影響します。今の地上世界がそうなりつつあることは誰もが気づいているのではないでしょうか? 霊性が高いと言われる日本でさえ、病気の人が溢れかえっています。心の病も先進国になればなるほど多くなっています。


 知花先生は、
“あなた方は、隣人(旦那様であったり妻であったり友人で会ったり職場の人であったり今日一日出会う人)を何であの人は!と憎んでいるという事は、誰を憎んでいる事になりますか? その人もその人も・・・みんな自分と同じ神ですよ!  神が一人一人に宿っておられるんですよ! 神は、その人(私)を憎まないでくださいと嘆かれています。


物(お金)で人々を救済・ボランティアをするのはインスタントの救済ですよ。偽善でしょ? 真の救済・ボランティアは、人々を真我(我は神=大霊)に目覚めさせることですよ。お釈迦様は
ひもじい3000名の人々に飯を盛るよりも5分間霊性でありなさい。と言われましたね。
一人一人が真我に目覚める事ができれば、この世から争い事はなくなりますよ。キリストが神あれが神、これが神と神を作るとは何足る事! 汝偶像するなかれ! 偶像ですよ!神は一つ柱ですよ!” 
 私の周りには祖母や叔母達、同級生達、会社の同僚達、主人の姉夫婦など多くの方が宗教にはまっており、何十年もその方々の言動や行動を傍から長年見ていて疑問を抱いていました。何が目的で宗教をしているのかという事が共通するのが、自分さえ良ければとか、
信仰していれば幸せになるという自我つまり利己が丸出しなのです。他より自分・・・与えるより与えられたい・・・祈れば幸せになれる・・・入信しているので正しいものの見方ができない為、何を言っても無駄なのです。キリストでさえ、自分の兄弟姉妹を真我に目覚め指す事ができなかったと言われています。
 また、知花先生は、
 ”この世での知識や教養はかえって真理を受け入れるのには妨げになる
”素直” でなければ真理は受け入れられない。” と言われています。その漢字の通りで、素直というのは、素(もと=神、大霊)と直ぐ繋がるのです。
”パワーかフォースか” でもありましたが、プライドというのは意識レベルでは大変低いもので、例えば ”学歴” や ”学者” という地位や名誉というのはあの世へは持っていけないのです。そのプライドは捨てなければいけないのです。差別、区別、分離感へとつながってしまい一体感を持つ事が困難になるからです。


 何年か前、トマトの生産者の方に会った時、こちらから聞いたわけではないのに、ご自分から ”ぼくは京都大学をでているから” と言われました。私達に知っておいて欲しいのだなと思いました。でも残念ながら魂的にはすごいとは思いませんでした。
どうしても京都大学を出たという事が誇り(プライド)となり、他より上という区別、
分離感を持ってしまうのだろうと思います。


 でも私もそうでした。私は教養も学歴と言っても無名の短大なのでありませんから昔から自分を卑下していました。だから息子が偏差値71の中学校に入った事で、まさに鳶が鷹を生んだとばかり有頂天になり自分ではないのに、周りが ”息子さんあの学校に行っているの?すごい!” と言われる度、自分がすごいと言われているような錯覚、また今までの屈辱に打ち勝ったような気になっていました。それを誇りに思い、人からそう言われる事に酔っていました。が、知花先生のCDを聞いて気づいたのです。それは、まさに自我。人から良く思われたい見栄、自分の頭が良いわけでもないのに良いと思われたいという事に他ならなかったのだと。


 この世でどんなにいい中学、高校、大学を出ても、どんなにいい会社に勤めていても、
どんなにすごい地位に就いていても、どんなにお金を持っていても、真我に目覚めていなければ何の価値もないという事がわかったのです。そんな地位や名誉や財産がある事がかえって妨げになり、何と愚かな事かというを知らなければならないのです。その事に気づくようにと神は導いてくれ、そして神である息子なのです。まだ真我に気づいていない彼にいつかは気づいてくれる事を想い願い続けます。想念はいつかは届くと信じて(想念は実現の母)。