mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

天は遠くにあるのではなく自分の心にある

  始めがあり終わりがあるもの(自我・肉我)は本物ではない。真我(生命)は永遠です。
私もそうでしたがほとんどの人々は、1回きりの人生だと思っています。
肉体が亡くなった後の事を考えようとも知ろうともしません。
死ねば永眠する=永遠に眠り続けると思っています。しかし、現に亡くなった方の幽霊を見たという人々がいます。私も見たことがあります。
肉体がなくなったにもかかわらずあの幽霊は動いていました。それは“生命”だから当然の事で、肉体をただ脱いだだけであって、今となっては “人(魂、意識)は死なない” という事を教えてくれたのだと思います。
  あの頃の私は、自我人間で内側にある真我=生命というものを知る余地もなくあまりにも物質を追い求めていたから神が  “霊” というものを教えてくれる為に見せてくれたのかもしれません。
  物質・物体の前に “霊” というものなくしては私達は生きられないという事を。
なぜ肉体を失くしたあの幽霊はさまようのか? それは、肉体を持っていた時の意識(自我)から離れられないからなのです。
  生きていた時に “霊的” な事はないがしろで物質世界、外側だけを見て生きていたという事がはっかりわかります。指導霊がいくら説得しても耳を貸さず、この地上世界に留まり続けてしまうのです。それではまた生まれ変わって修行をするチャンスを得る事ができないのです。
  この生が終われば悟った人は天上界へ帰る事ができますが、悟れなかったとすれば必ず霊界(幽界)へ帰らなければならないのです。
  今この一瞬からでも決して遅くはないのです。最後の1人が悟れるまで神は待っていてくれるのですから。



   先日は85歳になった父の誕生日に手紙と知花先生の “魂の進化について” と  “生と死” というCDをプレゼントしました。
  “会社の事で何度もぶつかり合いましたが、そんな事があったからこそ、私は気づく事ができました。気づかせてくれた事、そして今までのすべての事に感謝しています。そして何十年後かまたあの世で笑顔で再会できるのを楽しみにしています” と書いた手紙と知花先生のCDを渡しました。 
 でも頑固で物質主義者の父は、“わしは聞かん!何も聞かんで!テレビを見るんだ!” と言いました。


  母も以前はすぐ恨み言を言ったり、あの人が悪い、この人が悪いと口を開けば愚痴を言っていましたが、風天教室へ行ってからは確実に変化が生まれ、父がそう言った時、母は
“あの世へは物もお金も持って行かれないもんね。みんなが幸せなのが一番!”と言ったのです。私は母の心の変化、その言葉がとても嬉しかったのです。
  “そうだよ。あの世へ持って行けるのは心(意識)だけだからね。CD聞いてよ。
TVを見ても何にもならないからね!”  と言って帰りましたが、後日母に聞くと、
  “あの後CD聞いていたよ” と聞いてとても嬉しかった。ほんの少しでもいいのです。
知花先生の話はこの世での知識がたくさんある人や頑固な人ほどなかなか理解できないのですが、1度聞いただけでも潜在意識に入るのです。それだけでも私は使命を果たせたような気がするのです。知花先生のCDを私が渡すまで父は生きて待っていてくれたのかな?とも思います。そして肉体が朽ちるまでもしかすると悟ろうと思うかもしれません。 
 あんなに憎み合っていたけれど、父の誕生日の2週間後、この春は両親の家の庭で両親をはじめ姉や姪達、息子の家族、姑も誘ってお花見(桜)をしました。あの地獄のような日々が嘘のように調和し、和やかな春のひとときを過ごせたのです。
父も少しいつもより穏やかでした。以前は皆が集まっても皆が帰るまで居る事はなく、
食べるものを食べるとさっさと一人自分の部屋へ行きテレビを見るような人なのですが、
その日は皆が帰るまでその場を離れず、終始和やかで帰る際も皆に笑顔で挨拶をしていました。・・・家に帰って主人に 
 “こんな日が来るなんてあの頃は到底思えなかったけど、今日のような日が来て、本当に逃げ出さなくてよかったね。” と言いました。主人は、
 ”みんな(神)が喜ぶことを私も神と思ってすればいいんだよ。” と。 
イエス様は、“天は手より足より近し。” と言われています。
 
  天は遠くにあるのではなく自分の心にあるということなのです。


 主人と毎朝、また少しの時間があれば目を閉じて瞑想をしています。また、嫌な事を考えそうになった時や、嫌なものを見た時も “我神なり、我大霊、我生命・・・” と思いを切り替えます。
 瞑想というのは、お寺で座禅を組んで一心集中して無になる、空になる、雑念を捨てる、自己を見つめるのと似ていますが、それとは違います。
 もちろん雑念は捨てなければいけません。自分は神であって、肉ではなく生命であって大霊、そして宇宙との一体感を意識する。そうしていくうち自分の中に少しづつ変化が感じられるようになりました。
 以前は毎日が忙しく仕事でもすぐイライラしたり、人から嫌みを言われたり、私のせいにされたりすると嫌な気持ちになったり、腹を立てたり、気持ちが落ち込んだりする事がありましたが、瞑想をするようになってからは、イライラする気持ちやがっかりする気持ちや怒りや嫉妬とかという感情(知花先生は、この感情を魂的に低く未熟と指摘されています。また聖書の中でイエス様はこの悪い感情を悪魔=サタンと表現しています。)が出て来なくなっています。
 更年期の時期なので普通なら以前より出やすいはずなのですが、友人や同年代の人達、周りの私より若い人でも更年期の症状が出ている方も多く、不安定な気持ちになる事もないくらい落ち着いています。
 これだけでもすごい事じゃないですか?あんなに未熟だった私が、神を意識し始めてから悪いカルマが出て来なくなっています。知花先生が言われた、“一人でも真我に目覚めてその人の一つでも欠点が取り除かれれば私は幸せです。” かもしれません。