mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

私達は同じ一つの生命体だから・・・

 人間も万象万物も母なる無限の質料(マイナス)と父なる無限のエネルギー(プラス)で出来ていますから、同じ一つの生命であって大霊、同胞、それは、全て愛なのです。
愛あるが故、私達はこの世に生まれています。


 私達は、肉体があるかないかだけの違いであって、肉体を脱いだもう既に亡くなった方々も見えないだけで、重なり合っておられるのです。以前、ホンマでっかTVで 
”死後の世界は存在する” という放送の時にも池田先生や武田先生が同じことを言われていましたね。
 知花先生は3つのコップで説明をします。1つには氷が入ったコップ、1つには水が入ったコップ、そして空(気体)のコップ。水が原因(無限の質料と無限のエネルギー)で結果として目に見える形=氷が私達人間や万象万物、気体になった見えない水=霊体、普遍なる大霊という事を理解してもらうために説明されます。
 風船を思い浮かべてみると解りやすいのですが、風船の中にある空気と外にある空気は同じです。その風船が割れると中にあった空気と外側の空気は一体になります。
私達はたくさん飛んでいる風船、私個人と思い、他と違うと思っている赤い風船や青い風船や緑の風船や白色の風船や黒色の風船・・・・と同じです。
 御国に入れる霊魂は少ないと知花先生は言われています。それは、波動が高くなくては、昇天しないからなのです。亡くなったほとんどの霊魂(波動が低いと)が私達と同じところで肉体を脱いで生きておられます。そして、類は類を呼ぶ法則で同じ波動(意識レベル)やカルマによって母となる肉体に宿る事になります。
 そうして輪廻転生を繰り返し、少しづつ霊格を上げていきます。悪い人とは、まだ熟していない、まだ幼児(幼稚)な魂なのです。
 自分と合わない人(波長が合わないとよく私達は言います)がいれば、それは波動が合わないからで、気にしなくていいのです。また、自分にとって幼いと感じる人(霊には年齢がないので、人間の年齢は関係なく自分より年をとっていても)は、まだ未熟な魂だなと思えばいいのです。そういう人(霊)も徐々に必ず熟して行くと知花先生は言われています。
 死んですぐは、今までと同じところへいるので自分がまだ死んだことに気づかない霊も多く、肉我でいた時と同じ意識でいる為に欲望が捨てきれず、したい事は存分にできるようになっている(神の配慮)と言われます。そして徐々に神性を取り戻して行くそうです。
ですが、未熟な魂はどうしても悪人のように捉えられる事をしてしまいます。それを悪人と決めつけて責めたり、社会が追い込んでしまえばそれは・・・悪で悪を消す事になります。悪は愛でしか消せないのです。
 
 世界ではアメリカを憎んでいる国や人々が多くいます。また日本を憎んでいる国や人々もいます。日本も辛い過去があります。戦争で愛する人を殺された人々が大勢います。
それでも日本という国は、憎しみに満ちているでしょうか?
アメリカを憎んでいるでしょうか? 仕返しをしようとかプラカードを持って大使館の前でアメリカの国旗を焼いたり踏みつけたりしているでしょうか? 
 昨年の原爆慰霊式典にオバマ大統領が参られた時、被爆者の方々はオバマ大統領と握手をしてお話をされていましたが、恨み言は言ってはいませんでした。
 “二度とこのような悲しい事が繰り返されないように” とお願いをされていました。
それが神ではないでしょうか? それが愛ではないでしょうか?
 やられたらやり返す。仕返しをする。そんな憎しみからは何も生まれないという事に気づかなければならないのです。やられたらやり返すというのは、神の意に反する事で、神は絶対善なのです。私達が生きていくために必要な酸素や食べ物や暮らしていくのに必要なものを全部用意してくださっています。それに気づいている人達がどれくらいいるのでしょうか?


 私達は人生を終えた時、計りが待っています。愛に生きたのか? それとも憎しみに生きたのか? 知花先生の言う計りと言うのは、愛に生きれば波動が高くなり昇天できますが、憎しみに生きたという事は、波動が低いという事なので地上近くに留まりそしてやがてまたこの世へ生まれてきて、昇天できるまで修行をしなければならないという事なのだと思うのです。 “類は類を呼ぶ法則” というのは、波動が合うもの同士引き寄せられる。親子や夫婦、友人同士も成長していけば波動が変わります。最初は気が合っていても少しずつ合わなくなっていくのもそういう事なのです。
 私達は心に悪魔(サタン)を住まわさない事が重要なのです。キリストはこう言っています。
“汝、悪人に商売をさせてはならない。” ここでの悪人というのは、怒り、憎しみ、妬み(嫉妬)、誹り、恨む、などという醜い感情の事(悪魔=サタン)でそれらを心に住まわせてはいけないという意味です。
 キリストは、貧しい家に生まれたので “貧しきものは幸いなり” とも言っています。 経済的に満たされている時は気づきにくいという事です。
 今日もよその会社の社長が道端で世間話をしているのが聞こえてきましたが・・・
“あの土地を売ったら、豪邸を建てたらいい。プール付きでテニスコートも造ったらいいね。” と・・・
なぜ外車に乗ったり、豪邸に住んだり、煌びやかな装飾品をつけたり、豪華客船で旅行したり・・・したいのでしょうか?人間の欲とは果てしないのでしょう。
私はそういうものに興味がないので幸いなりです。
 人々の笑顔を見られることがどんなに愛しい事でしょう。それが見られないとしたら
私には何の喜びも価値もありません。