mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

なぜ働くのか?自分の為ではなく誰かの為に。

   私達はこの世3次元(波動が低い)で生きていくためには肉体を維持しなければならないので衣・食・住を整える為にどうしても働いて ”お金” という対価を得なければ生きてはいけません。
 寝て起きて仕事へ行きの繰り返しです。
 それは本来の実相の私達・この宇宙(神の世界=愛)は無私で働くようになっていますから死んでから(肉体を失って)も私達は永久に睡眠(永眠)をとるのではなく他(利他愛)の為に働くのです。
   私達一人一人に指導霊がついていらっしゃいます。今生でやるべく宿題を果たせるようについて指導をしてくださっています。 何かを考えていると 
  “こうしたらいいんじゃないか?”  と言う善い行動を促してくれる内から出るインスピレーションを感じた事はありませんか? それは指導霊の声なのです。その指導霊も以前は肉体を持っていた方なのです。
 肉体を失っても私達の為に無私で働いてくれています。だから肉体があっても私達は働く事を忘れないような仕組みとそして誰かの為に働く(利他愛)事に気づけるようになっているのです。


 私は農業をするまでは、街で生活をしていたので物欲に溺れ、分不相応な暮らしをした為(マイホームを無理して買ったり車を買い替えたり消費する事に明け暮れていた)その支払や生活費に追われ否応なく働いていましたし、不摂生をしたりしていたので疲れやすく(低エネルギー=低我、波動が低い)、休日は9時頃まで寝て、それから朝ごはんを作るという生活で・・・寝る事が大好きでした。
 寝る事が好きだった私は死んだらずっとそのように眠るのだと思っていました。そしてまた目覚めたらまたこの世に生まれ変わっているのかも?というように。私達は死んだら眠るのではありません。


 農業をするようになって、植物というのは成長が早く待ってはくれないので芽が一斉に出ると日曜日も祝日もありません。ただただ追われるので否応なく早寝早起きをするようになりました。
農閑期と言いますが、農閑期には次の芽が出るまでに準備をしなければならないので一年中休む間はありませんでした。
一生懸命身を粉にして働く心地よさ、それがどんなにかけがえのないものかという事もわかったのです。
 こちらに帰った頃も、会社が傾いていたのもがむしゃらに働かなければならない要因でしたが、朝は午前3時から夕方午後6時頃まで繁忙期には午後8時頃まで17時間ほど働く日が何日も続いたり、冬は寒い場所で夏は暑い場所で主人と2人でひたすら働きました。何名かの社員は私達を横目で見ながら先に帰っていました。
 “こんなんだったらコンビニで夜中働いたほうが時給も高いからいいわ” とも言われました。その頃は 
 “なぜ私達だけがこんなに働かなければならないの?誰も私達の事を褒めてもくれないのに・・・” と思いながら働いていたので、投げ出そうと思った事が何度もありました。
 あれから知花先生のCDを聞いて、“私の事だ~” と恥ずかしくなりました。
“あなた方は何も働いていませんよ。あなたの中で働いてくれているのは神ですよ。生命無くしてあなた方は何事もできないんですよ。私はこんなにも働いているのに、誰も褒めてもくれない・・・あれ?って。耳を疑います。あなたが働いているんじゃないんですよ。神あるがゆえ、成せているんですよ。食べ物を口から入れるとその中で血や肉や骨、細胞に変えてくれているのは神(生命)じゃないですか? 生命がなかったら見る事も、話す事も、聞く事もできないんですよ”
 
 人が休むお正月・ゴールデンウイーク・連休・お盆・・・など必ず仕事が入ります(従業員を休ます為主人と私は配達へ出ます)以前の私は、人を羨んでいました。
 “みんなお休みでいいな~。私なんてお正月は仕事が入るからどこへも行けない。ゴールデンウイークも。お盆も。長い休みなんか取った事がない、因果な仕事だ。・・・” と嘆いていました。
 
 今年のゴールデンウイークは、もう真理を知ることで私の想いがはっきり変わったので、以前は行きたくなかったセンターで、今までは経験したことがないほど気持ちよく過ごせたのです。そこは以前何回か行った時、陰険な人が多い印象で注意をされたり怒られたりしたことがあったのです。籠台車を持って行こうとすると
 “それは俺が用意してあるから勝手に持って行くな!”
 “そこに荷物を置くな!” “ペンは持って行くな!” “時間が遅い!” などと・・・言われたことがあります。
 いろいろとルールがあるのはわかりますが、言い方があるんじゃないの!!(心の中で叫んでいました)・・・と以前は腹が立っていました。
 この度は、そこにはそこのルールがあってそれぞれの事情がある事を考慮する事ができるようになったので、まずそこのセンターで会う人会う人誰にでも “おはようございます!” と笑顔で元気よく挨拶をしました。そして近くにいる人に
 “ここの籠台車は使ってもいいですか?” と勝手に持って行かず、最初からお尋ねしました。すると、
 “いいよ!ゴールデンウイークなのにご苦労だね。” と気持ちよく返してくれました。
 “いいえ~お互い様です。お疲れ様です” と言うと、
 “あっちにたくさん籠台車があるから使っていいよ。” とご親切に。
 “ありがとうございます!” と籠台車を3台いっぺんに持って行くと通る人すれ違う人が当然ですが、避けてくれて
 “すごいね!気を付けて” とか “こうやって持って行った方がスムーズで楽に運べるよ” などと教えてくれたり、“今日は早いね!” とか。しまった~ペンを忘れた~と見まわすとペンが見当たらず、事務所に借りに・・・何回か陰険に言われたことがある方がいて・・・でも分離感(私達は大霊、同じ一つの生命)が無くなりつつあるので、“おはようございます。すみませんがペンを忘れたので貸していただけますか?” と言うと、渋々 “これは僕のだけど・・・” と貸してくれました。
 “ありがとうございます。” 終わって返しに行くとその方がいなかったので、机の上にペンと “ありがとうございました。大変助かりました。” とメモを添えて帰りました。 
 翌日お会いした時も普通に接してくれてその日は早く着いたので、その荷を積むトラックがまだ到着していないから、近くの店舗の荷物を先に降ろしてきた方がいいんじゃないかと提案してくれました。驚きです。いつも怪訝そうな顔をして人を寄せ付けない態度で嫌みも言われた事があった方だったのに・・・とても好意的に言って下さったので嬉しかったです。やはり以前の真理を知らない無知だった私に原因があったのだと思いました。
 

 つい仕事の邪魔をしたら悪いとか、あの人怖そうだから怒られるんじゃないか?とか聞くのは面倒くさいな~とか勝手に自分であれこれ決めて(邪念)そこにはそこのルールがある事を無視していたから当然の反応だったのかもしれない。次の店舗へ行くと、裏方で会う人会う人に “おはようございます!” とそうすると皆さん笑顔で返してくれます。 違う通路でさっきお会いして挨拶をした年配の初老のおじさんと知らずまた挨拶をするとにこにこして “あっさっきご挨拶しましたね” “ああ先程の・・・そうでしたね。” とお互いに、笑ってしまいました。でもそんな触れ合いがなんと心地善いものでしょうか。こんなにも変われたのです。
 以前の私は、世間では海外旅行へ、国内旅行へ里帰りへ、レジャーへとニュースの渋滞情報を見ながら、羨ましがっていたのに今では何の不満もなくなり働く事や誰かの役に立てれる事への喜びを感じられるようになれたのです。
 真理を知り、自分が何者で他人も何者なのかという事がわかると怖いものはなくなり、真正面から向かい合えば誰もが真摯に向かい合ってくれて、隣人(その日出会った人)を
神(神の子、分身)と思えば見た目に振り回される事はなくなり気にならなくなります
。 以前のような、“なぜあの人はああなんだろう?”と思い悩む事がなくなります。あんなに苦しめられた姑でさえ、心の内在神、指導霊の “この人は気付かせてくれたあなたの恩人よ。恩人よ。” と言う声が聞こえて来て、愛しささえ感じられ、今では会っても心は平穏で、昔のようなざわついたものやいらぬ感情は出てこなくなっているので驚きです。

 今日も神(生命)・指導霊は私達を導いてくれて働いてくれています。その指導霊の声は外からではなく内から聞こえますね。内なる声を信じると、誰かの為に働ける幸せがわかるようになりました。