mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

固定観念を捨てると前に進める

    
 先日、祖母が96歳で他界しました。祖母は祖父の後妻なので、私は血が繋がっていませんが、祖母にとっては長女の娘たちなので普通に私達を可愛がってくれました。
  祖父は私が8歳の時に脳梗塞で倒れそれから亡くなるまでの16年間は寝たきりで、
祖母が自宅で介護していました。私は祖父が大好きだったのでよく夏休みなどの長い休みには田舎の祖父の家に泊まりに行っていました。祖母は祖父の介護で手が一杯なのに、
それでも私をうっとうしがらず近くの神社で夏祭りがあれば浴衣を着せてくれて連れて行ってくれたり、夜中にはトイレ(田舎なので家の外にある)について来てくれたり、暑いとかき氷を作ってくれたり、私が好きなインスタントラーメンを買ってきてくれたり・・・面倒を見てくれました。
   祖父が亡くなってからは何となく疎遠にはなりましたが、何年かに一回くらいは祖父のお墓参りに祖母の家に寄ったりし、祖母が手料理でお昼ご飯をご馳走してくれたり、茶菓子を買って(自動車免許がないので歩いて何kmも)いてくれていたり、心のこもったおもてなしには優しさを感じました。
   私達が県北でぶどうを作っていた時には叔母夫婦と一緒に農園まで遊びに来てくれた事もあり、“mimiちゃんと〇〇ちゃん(主人)、こんなに広いハウスをよく二人だけで作ったね。二人が苦労して作ったぶどうだから買わせていただくよ”  とお金(少ない年金暮らしなのに)を払って買ってくれました。きっと農業は大変だという事がわかっていたのでしょう。
   そんな祖母でしたが、やはりうちわでは嫁姑問題や介護問題、仕送り問題と親子間ではどこにでもある問題があり、亡くなる前の3ヶ月程は多少呆けが入り、幻覚を見たと言っては怖がり息子(30km程離れている)を度々呼び出したりと何かと息子達を振り回していたので介護施設への入居を進めている最中で、亡くなる2週間ほど前に長男夫婦と暮らしたいと訴えていました。でも息子達には 
 “ぼくらにはぼくらの生活があるからそれはできない。” と説得され断られていました。
 祖父が亡くなってからの32年間は田舎で1人子供達の世話にもならず週に2回ほど
ヘルパーさんに来ていただいて生活し、そしてひっそりと息を引き取っていました。
やはり息子達に迷惑を掛けたくなかったのだろうと思います。その祖母の想いが強かったので魂(神)は肉体を離れたのでしょう。


 祖母のお葬式で、私は祖母に心の声で言いました。“おばあちゃん、今までありがとう。今生は終ったよ。人間としては死んだよ。お疲れ様でした。指導霊について行ってください。案内してくれます。” と唱えました。死んだ者がお経を聞いてもわかりません。
 肉体を脱いでも人間の時と同じ意識なのですから何が何だか意味がわかりません。
今自分の体は下にあるのに自分の魂(意識・生命)は空中にいる事が理解出来ないでいます。人間の時に誰かのお葬式で僧侶が唱えているお経が皆さん理解できているでしょうか? 私達日本人は一般的に仏教徒が多いですが・・・ところどころはわかっても何を言っているのかもわからないものを死人に唱えると成仏できると信じ切っています。
知花先生は、
 “お寺で毎日仏像の前でお経を上げていますが、お釈迦様は笑っておられます。釈迦に説法なのです。” 今当たり前だと思い、身内が亡くなればお葬式をしたり、お墓を造ったり、すべておままごとだと。すべて迷妄なのです。真理(神理)、真実がわからないから皆慣習でお葬式をします。昔からしているからするのは当然だ、皆しているのにしないと世間から、残された者(遺族)が何と言われるかわからないとか罰が当たるとか恨んで出て来るとか・・・と信じ込まされ、固定観念を持っているのです。これがあるが為に
人は前に進めないのです。その固定観念を捨てれば真理を受け入れる事(知花先生はこれは能力だとも言われていますが・・・)が可能になるのですが・・・
 私達はもともと神から生まれ神の元へ帰るだけで、人間と言うのは仮の姿なのです。
形を取っているだけなんです。
 現に霊(神・エネルギー)がいなくなった祖母の肉体はまるで蝋人形(ろうにんぎょう)のようです。自分は神でエネルギーなんだという事がはっきりわかります。
それを改めて祖母は教えてくれました。
 でもその事に気づかないでは昇天できないのです。波動が低いと幽界に留まるからなのです。また、自分は人間で人間から生まれたと思っている限り昇天(成仏、解脱)できず、人間として再びこの地に生まれるということです。


 知花先生はよく蓮の花で例えます。蓮の花というのは、 泥沼の中から這い上がって咲きます。また蓮の実の果皮は硬く、発芽しにくいので、発芽を助けるため、実の底部(穴のあいている方)をヤスリで削ってやらないといけないほど硬いのです。人間も同じで、殻(自我という殻、固定観念)をなかなか削る事ができないのです。自分は普遍なる大霊・神だと思えないし認められないのです。
 泥沼というのがこの世、地上世界の事で、水面の辺りが幽界、そしてそこを乗り越えて花が咲き(天昇)ます。お釈迦様は悟りを開いたから蓮の花の上に座っておられるのです。お釈迦様が悟りを開いたのも、この世は幻、幻影の世界だという事に気づかれたからなのです。お経の中にある “色即是空”=色とはこの世三次元で見えているもので、すなわちこれ空(見えないもの)と一体だと説いています。
私達は見えないもの(普遍なる大霊・神)と一体なのです。毎日見えるものだけを五感の目で見て五感の耳で聞いているために、
見えないものを認める事がなかなかできないのです。でも、私達は見えないものによって導かれています。
したがって見えないものに怯える事もありませんし、また見えているものにも怯える事はありません。幻影なのですから。
今まで、私達はどこから来たのだろう?と思っていました。魂(生命)はどうやってお腹の中に入ったのだろう?と。不思議で不思議でしょうがなかったのですが、今ではわかります。
 私達は普遍なる大霊なのだから、肉体に宿る事ができるのです。それが(お腹に魂が宿る時)私達の目に見えるでしょうか?また亡くなった時に、魂・生命が抜けるところが見えるでしょうか?でも亡くなった肉体には明らかに魂(生命)は宿っていません。生命が離れたからその肉体は動かない。私達は見えないものと一体です。その事を知らずして私達は昇天(成仏・解脱)する事は絶対にないということなのです。


 だから私達夫婦は、従来のようなお葬式はしないつもりです。お墓も戒名も持つつもりはありません。全て朽ち果てるものだから。最近では俳優の神山繁さんが亡くなりましたが “葬式無用・戒名無用” と遺言書に残されていたり、かの有名な白洲二郎さんも同じことを残されていました。戒名をありがたがりますが、霊には名前はないのです。
今現世での名前も本来ないようなものです。肉体がある為に名前をつけてしまいますが、私達は普遍なる大霊なので個々というものはないのです。人間ではないのです。
人間の肉を着た生命。
 人間も動物も・・・肉を脱げば生命(神)のみだという事に気づけば、今までの常識が
非常識になる時代はもうそこまで来ているような気がします。