mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

汝の救いは汝

 7年前の東日本大震災では多くの方々が津波に飲み込まれました。でも多くの方々が
自分は何者か?という事に気づいていなかった為(自分は人間だと思っているので帰る場所がわからない)に、そこへ居続けている霊がたくさんいるのです。
 “私達は死んだらここへ帰ります”著者 高橋呑舟/(きたよしお)さんも本の中でその事を記述しています。
 東北の海岸では自分はもう既に肉体を失っているのですがその事を理解できず、 
“〇〇ちゃんはどこ?”“お母さんはどこ?”・・・と愛する人を必死で探し続ける声がたくさん聞こえるのだそうです。・・・霊界(天界)へ帰れていないのです。
私が知花先生のCDを聞き始めた頃、
 “例え、踏切で電車に轢かれそうな人を助けて身代わりに自分が死んでも、真我に目覚めていなければ神の国には入れませんよ(成仏しない・昇天しない)!
どんなにボランティアをしてもどんなに善い事をしても真我に目覚めていなければ入れませんよ!” 
 と言われた事が、私には意味がわかりませんでしたし、信じられませんでした。
なぜ自分の命を犠牲にしてまで人の命を救うような人が神の国に入れないのか?
なんと厳しい事・・・と。腑に落ちませんでした。
 
 この世には自分が何者なのか?という事に気づいている人、解っている人が本当に少ないのです。(21世紀の終わりごろには、自分は人間ではないと自覚して生まれてくると知花先生は言われます)
ほとんどの人が自分は人間だと思っています。肉体の自分が自分だと思っています。
概念に囚われすぎているのです。生まれた時から周囲の大人達誰を見ても生まれた意味、目的がわかっていないで人生を過ごしているからです。
 そのような事を言うと、気持ち悪がられる。精神世界的な事を言うとすぐ人は
 “何か宗教に入っているんですか?“と言って遠ざけようとします。我が息子達にさえ伝える事ができないもどかしさ。
知花先生も、
 “あなた方は野に咲く一本のゆりになりなさい。周囲にはそれを邪魔する雑草がいっぱいありますよ。その雑草はあなたの子供かもしれませんし、あなたのお母さん(両親)かもしれませんし、あなたのご主人(妻)かもしれません。でもそれを乗り越えて神々しく咲く一本のゆりになりなさい。厳しいかもしれません。でも真理は簡単に手に入らないから価値があるのですよ。多くの人間は、『成仏させてあげる・幸せになれる・健康になれる』と言われると簡単にお金を払って他人、他力に頼って楽な方を選ぶんですね。自力ですよ!自分で努力しなければ手に入れられるものではないんですよ。お金を払っても手に入れられないから価値があるんですよ。自分を救えるのは自分しかいないんですよ!
汝の救いは汝!
 皆さん努力が足りないと思います。足りないんです。この知花も毎日努力しているんですよ。だからたまには自我も出ますよ・・・他の宗教と違ってここは自分で努力しなければならないから楽な道を好む者は去っていくんですね。歩もうとするのか歩まないのか・・・招かれる者(選ばれる者)は多いけれど歩もうとする者は少ないんですね。” と、どれだけの努力がいるかを訴えておられるのです。
 
 瞑想を始めてからの私もここ1年程は、滅多に自我が出て来なくなっています。
誰かが私の悪口を言っていても気にならなくなりましたし⇒みんな同胞で言っている人も真我は神で大霊だとわかっているので、その人の自我(偽物)が言っているだけとそれは幻と理解(この世は実相世界ではない)できるからです。
 誰かが私を嫌っていても、私はその方を嫌いにはなりませんし、嫌われている事を気にする事はありません。以前の私ではとても信じられない事です。ちょっとした事ですぐ萎えてしまい、くよくよ・・・嫌われた、どうしょう?・・・怒らせた、どうしょう?
・・・傷つけた、どうしょう? 傷つけられた・・・嫌われたくない。怒らせたくない。傷つけたくない。悲しませたくない。悲しみたくない。・・・といつも人と関わる度にそんな思いに駆られながら接していました。どんなにしんどかったか。人と接する事がストレスでした。真理を知らないから、分離感を抱き、他人と自分は違う、別物と捉えていたからなのです。でも今は、皆同じ生命で大霊だという根本、真理がわかっているので、
知花先生が言われるように、気にならなくなりました。また、どんな方を見ても親近感を持てるようになりました。
 昨年の秋から近くの福祉施設から週に2日程、何名かの障がい者の方に来ていただき
仕事をして頂いています。以前の私なら、表面では “差別してはいけない” と偽善者ぶって接したと思いますが、今は、皆同じ生命、同胞関係、姿形が違う(カルマが関係している場合もあると知花先生は言われます)だけだとわかったので、違和感も差別する事もなく普通に接する事ができます。仕事は少し時間がかかりますが、私達はとても助かっています。
 その感謝の気持ちは皆さんに伝えます。だからなのでしょうか、最初は言葉も発してくれなかった数名の方(言葉を発する事ができない病だと思っていました)も、今では自分はどこの出身で何歳で、いつが誕生日で好きな物など話してくれるようになり、楽しんで仕事をされてます。
 なので人によって態度を変えたりするという事はなくなりましたし、人によって身構えたり、繕ったりというようなものもなくなりました。自然体で人と接する事ができるようになれたので、いつもすがすがしく過ごせるようになったように思います。
 瞑想(深いところで真の自分を探す)を続ける事で、自分のハートに神が着座されると知花先生は言われます。自我を抑える努力をし、真我(神)に目覚める事でハートが満たされるようになるのです。それが心の平和なのです。あんなに感情的だった私が、ほとんど感情的に怒る事がなくなったのも、自分が想いを変えたから。
やはり “汝の救いは汝” ですね。まだまだ日々努力です。