mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

現在(今)は過去からの贈り物、現在(今)は未来への贈り物。今を大切に生きる。・・・過去の悪い想いは捨てなければ幸せにはなれない=波動は上がらない

 この世は、意識レベル(波動)が混在している為に、いろんなところで争いが起きます。差別、区別、分離感からです。
   主人は、宇宙法則=宇宙の摂理=宇宙のシステム(真理)がそうだとわかっていても"なぜもっと自分を大事にして一生懸命生きようとしないのか?“ と思ってしまい、寝ぼけた魂に必死で訴えかけてしまいます。木村藤子先生も相談者に来られた方々に解って欲しくて必死で言いますが、波動の低い人にはなかなか理解されず残念ながらインターネット等で誹謗中傷されています。
知花先生も
 “この世には自分が何者か解っていないまた解ろうとしない、内側を見つめようとしない寝ぼけた魂が非常に多い。
生きてるようで(肉体の生)死人なんです!本当の自分=真我に生きていない。ほとんどが見えるものを信じ、自分という偽我・自我に生きています。この地球上には何十億という自縛霊がいるということです。
“ と嘆かれます。
みんなカルマがあってそれを乗り越える事によって本当の自分=真我、神性に目覚めるようになっているのですから、仕方がありません。


 今息子夫婦もある壁にぶつかり苦しんでいます。2人にとって乗り越えなければならないカルマなのです。
 誰でも嫌われたくなくて言いにくい事は言わずに当たり障りのない事だけ言って上辺だけを繕って付き合いをしていた方が楽だとか、また老後にもしもの事があったら息子の嫁に世話にならないといけないから機嫌をとっておこうとかよく耳にしますがこれは自我です。利害関係で自分にとって有利になるように考え行動しています=利己的。
 主人はそれができないので、お嫁さんに限らず誰であろうと心のドアをノックし、
どうしてそう考えるのか?もっと良い方へ物事を捉えたら幸せになれるのに・・・
そうしたいと思っているのにどうして行動しないのか?
どうして自分の人生なのに人任せで自分主導で生きないのか?
どうして人のせいにばかりするのか?
どうしてどうでもいい事、見える事に心を傾けるのか?短い一生なのにどうして時間を無駄遣いするのか?・・・どうして、どうして・・・・
 主人の想いはなかなか理解してもらえないので、お嫁さんと息子の事を思って言った事がいつまでもお嫁さん(迷い人)の心の奥底に良くない影を落としています。
理解できないのは、意識レベル(波動)が違うので仕方がない事なのです。素直でなければ受け入れる能力がないのです。知花先生の話も主人の話も理解できません。


 先日も姑と一緒にお墓参りへ出かけ、知花先生のCDを車の中で聞きながら行きましたが、姑は"もう、この人の話は同じ話ばかりで頭が痛くなる!聞きたくない“ と怒りました。理解できないのです。以前風天教室に姑を誘い行った帰りも”ようわからんかったわ“と言ったので仕方ありません。
 知花先生も "この世三次元=目に見える物だけが真実だと思って自我で生きている者には私の話は到底理解できないでしょう。低い波動の者が私の話を聞くと逃げ出したくなりますよ。”という事です。受け入れられる段階に来ていないという事です。
まだまだ何転生と繰り返さないと真理へは到達しないのです。
 この世のほとんどの人は、真理を知らないから、他人と差別、区別をし分離感を抱き意見が対立すれば敵対し理解しようとはしなくなります。背を向けます。それは波長=波動が違うので仕方のないことなのです。
 その場合知花先生は、"まだ熟していない魂だなと思えばいいんですよ。欠点を言われて喜ぶ人がいますか?よけい怒りますよ。憎みますよ。放っておけばいいんですよ。真理を解っていない無知な、真我に目覚めていない同胞をかわいそうだと思いませんか?許しと愛しなさい(慈悲の心)“ と言われます。
 木村藤子先生の言葉で私の心を楽にしてくれた、また気づかせてくれた言葉があります。 “人には人の理由(わけ)がある” この言葉で私は、他の人の事を許せるようになれたのです。それまで考えもしませんでした。“なんであの人は人の気持ちがわからないんだろう?”とか、"なんであの人はあんな事をするんだろう?無神経だわ。意地が悪いわ。"とか人を批判し、裁いていました。その度、胸が痛んだり、腹を立てたりの繰り返しでしんどかったのです。
 息子のお嫁さんは昔の私にそっくりなのです。だからお嫁さんの事も理解できます。
昔の私も自分が正しいと思い込んでいたので、自分の尺度で物事を計りますから人から注意をされたりすればその事を根に持ち憎み、いつまでも恨んで許せないのです。過去に執着していました。ずっとそこの意識(低波動)で居続けるのです。
自分は自分なりに一生懸命しているのに、注意された!欠点を指摘された!自分の考えを否定された!なぜこんな事を言われなければいけないの?何様よ?・・・と受け止めたのでしょう。
 未熟であればあるほど(波動が低い)、受け止め方がネガティブで人の意見を受け入れません。自分が正しいと傲慢で、プライドが高くて、偉ぶります。
 霊格(意識レベル)が上がれば上がるほど、目の前の出来事に一々目くじらを立てたり、人からものを言われてすぐカッときて腹を立てたり、許せなかったり、恨んだり、憎んだり・・・しないものです
 霊的に成長している人は、この世は同胞関係でひとつの大霊だという事がわかっているのでまだその事に気づいていない人(魂)を慈悲の心で包み見守る事ができます。
 この世は感情界(幽界=幽体を持った魂が存在する世界もアストラル界と言い感情界=波動が低い)なので誰もが我が我がと押し合いへし合いする世界=利己ですが、
宮沢賢治のように自分は勘定に入れず=無我(自分の感情は入れず、他を優先する=利他愛)で生きています。
 "この世は諸行無常なり“ なのです。目の前に起きる一瞬一瞬は消え去り行くものです。
 小さかった我が子も、自分も年老いて行き私達の人間の姿もやがて消えて行きます。
"諸行の「行」とは「つくられたもの」の意であるから、全体で「一切(いっさい)のつくられたものは時間の推移によって生滅(しょうめつ)変化し、常なることはない」という意味になる。この命題を真に理解すれば、たとえば人の死にあっても悲しむことはないといわれる。後の部派仏教(小乗仏教)はこの命題に関して「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別(しゅんべつ)し・・・[加藤純章]“とある。
 今の一瞬をいかに気持ちよく過ごせるか(波動が高い)、いかに無私で他を思いやり和やかに明るく過ごせるか(波動が高い)、一瞬一瞬を精一杯生きていれば素晴らしい未来が待っている。ですが多くの人が過去に生きているのです。一瞬一瞬を生きていないのです。一瞬一瞬を生きるという事は決して過去に執着しないで、嫌な事や感情は心に留めないで生きれば心も軽くなり波動が上がっていくのです。この世は幻影なのです。
 “私達はこの世にくよくよジタバタする為に生まれてきたのではないのです。真の我・光の自分、本当の生きる目的を知って、他の人々に奉仕せんが為に生まれてきたのです。” と知花先生も言われています。
 先日、夜中に主人が寝言をはっきり言ったので驚きました。
 “現在(今)は、過去からの贈り物。現在(今)は未来への贈り物。大切に今を生きる。”
その事に息子達やお嫁さん、そしてお一人でも気づいて消え去る過去の悪い想いは捨てて今を大事に生きて(波動が上がる)、今ある壁を乗り越えて霊的に成長して欲しいと願うばかりです。