mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

同じ場所に留まる人

 分かり合えるっていいですよね。やっと気づけるようになりましたが、気づく前の私は今まで自分の中で勝手に”あの人はこういう人だ”と決めつけて勝手に嫌いになったりしていたように思います。一方からしか見ていないのに・・・

私の近くにも夫婦の仲が冷め切って、もう何十年も家庭内離婚の状態が続いている方がおられます。その方の相談に乗ったリもしましたが、いっこうに今の状態から抜け出すことができず前に進もうとしないのです。人生のほとんどを無駄にしそうなくらい。もったいないと思います。何度もそう言うのですが、相手の思いやなぜそういう行動を取ってしまうのか?その内側にある原因を考えようとしない、わかろうとしない。”相手が悪い、私は正しい!あんな事をするなんて信じられない!あの人はおかしい!”そうなってしまった原因があるはずです。

 寂しかったから・・・辛かったから・・・もっと認めてほしかったから・・・もっと自分を見てほしかったから・・・疲れていたから・・・気持ちに余裕がなかったから・・・相手の気持ちを考えることができなかったから・・・自分に自信がなかったから・・・

 時間が経てば変わるのでしょうか?相手を避けて向き合おうとしない。向き合えばただぶつかるだけだからそれを恐れて・・・自分の事をわかってわかって!でもあなたの事はわからないわ!では前に進めるはずがないと思うのです。お互いがわかろうとしないと何も変わらないと思うのです。

 その方の悪口を言うつもりはありません。が家庭は冷え切って子供たちもそんな中で育ち、母親が父親の悪口を言って育った為、父親を敵視していて、今後結婚して主人を大事に思いやることができるのだろうか?と危惧しています。彼女に責任はとれるのでしょうか?娘の一生に影響するかもしれないと思わないのでしょうか?

 外ではにこにこしている彼女は”あの人はいい人だ!”という評判をよく聞きますが、彼女は外部へ自分の居場所を求めているのでしょう。夫に愛されているという自信がないからでしょうか・・・誰かに認めてもらいたい。誰かに好かれたい。人間みんなそうなのだと思います。主人がよく言います。”人間一人でもいい。一人でも自分を見てくれている人がいると強くなれるんだよ”と。私も今そう思います。私には親友とも呼べ、人生を共に信頼して一緒に歩んでいるパートナーがいます。まだそう実感できていなかった以前の私は嫌われるのが怖くて、人の意見が違っていても同調したり、人の悪口を言っている人がいても(自分の悪口ではない事にほっとして)へらへら傍で笑っていたり、何の意味もないくだらない話を面白おかしくしている輪の中にいたり・・・でも今はそういう事には加わらないので浮いています。毅然とした態度でいられるようになりました。人が誰かの悪口を言っても"本人に言ってみたらいいんじゃない?本人も気づけるかもしれないよ”と言ってみたりします。

自分の魂を傷つけないと意識して暮らすようにしています。私達を嫌って会社を辞めた人達を見かけても(相手が嫌っているので避けられますが)”あなたが嫌いです”という態度ではなく普通にしています。そして、”あなた達も大事な事に気づけますように”と心で願うようにしています。避けて通ってはいけないという事がよくわかります。この度避けても自分の心の中で解決していない限りまた同じ問題が起きます。それは自我を捨てる事だと思います。よく”あの人は我が強い”とか”我を通す”とかいう言葉が使われますが、まさしく自我の事です。自分の我を通すと必ずぶつかり合いが起きます。起きて気づけばありがたいですが気づかず、そのままずっと我を通したままでは何も解決できないのです。前には進めません。人間皆、真我(本当の自分の魂)はきれいなんです。いらないもの(自我)をくっつけて濁らせてしまうんです。それを濁らすのも濁らさないのも自分自身なんです。その事に気づいて前に進んで欲しいと願って仕方がありません。