mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

兄弟の長年のわだかまり

 地方の小さな会社ですが、祖父・父・叔父が1964年東京オリンピックの年に設立しました。間もなく祖父が亡くなり父は32歳で社長となり、専務の叔父と高度成長期の波に乗り順調に成長していきました。どちらかというと無口な父と明るく声が大きく堂々として(少しこわい感じ)いた叔父は祖父が生きていた時までは仲良く力を合わせていたのですが2人でするようになってから、また叔父が結婚してからは仲が悪くなっていったようです。私達娘にも叔父夫婦の悪口を日常のように言っていました。気の小さい父は社交的な叔父の行動が気にいらなかったようで、母もいつも迷惑を掛けられていると思い込んだり、弟の嫁さんがいつも抜け駆けをして姑に取り入っていると思い、気に入らないようでした。そういう事を聞かされて育ったので私達姉妹も叔父夫婦とは距離がありました。

母も嫁姑では悩んでいたので父方の親戚とはあまり付き合いがありませんでした。

 私は姉妹一番下で弟や妹を欲しがっていたので、近所に住んでいた従妹(叔父夫婦の間の長女)の所へ時々遊びに行っていました。叔父は私が従妹の面倒を見るのが嬉しかったのだと思います。ある日一緒にレストランに連れていってくれ、花火を買ってくれたのですが・・・その日帰りが遅くなり、家に帰ると両親は激怒!叔父夫婦は私が来ている事を両親に伝えてくれていなかったのです。探し回った両親は心配して憔悴している所へ帰ったので家に入れてもらえず、夜通し外で泣いたことがありました。それからは叔父夫婦の家へ行くことを禁じられ、従妹と会う事は祖母の葬式で会うまでなくなりました。

 叔父は亭主関白でお嫁さんは遠慮して3歩下がってみたいな夫婦でした。叔母は会社を退職後認知症になってしまい施設へ入り、私達が帰ってきた時には叔父は一人暮らしをしていました。主人は”叔父にあいさつに行こう”と言っていたのですが、私は気が重く先延ばしにしていました。それから1年が経とうとしていた頃、叔父が脳梗塞で倒れ、一人暮らしの為、丸一日誰にも見つからず、飼い犬がずっと吠えていたのと電気が夜になってもつかない事を不審に思った近所の方が見つけてくれたので一命はとりとめたのですが、歩行困難、片手が不自由と言語障害が残り介護が必要になった為、施設で暮らすことになったと聞いて、私をひとときでも可愛がってくれた叔父との思い出が湧いてきて、会いに行かなければと思いました。

両親はその知らせを聞いても行こうとしませんでした。

 叔父を訪ねた時、私は受け入れてくれるか不安で緊張していましたが、車いすで面会所へ現れた時、”おじちゃん私がわかる?”と言うと”どこのべっぴんが来たかと思うた~”と冗談を言ってくれた(以前の叔父とは別人のようでした)ので今までの緊張が吹き飛び、いろんななつかしい話ができたのです。そして叔父も両親の事を嫌っていると思い込んでいたら、涙を流しながら”兄貴には感謝しとる。嫌いなんかじゃない。兄貴に逢いたい。兄貴によろしく伝えてくれ”と何度も言うのです。私は会いに来てよかったと心から思いました。そして私達は父を連れてくると約束したので、その後父と一緒に行きました。

叔父は涙を流し再会を喜びました。父も今までの事がなかったように昔の兄弟に戻っていました。その時ちょうどめったに会う事のない叔母(認知症の)を長女が連れて来ました。あんなに亭主関白だった叔父がずっと叔母の手を握って・・不思議な事に認知症で表情が全くなくなったと言われていた叔母が笑顔になりました(言葉は終始発しません)。私は笑顔になった叔母と父と叔父の長年のわだかまりが一瞬にして解けた瞬間に居合わせた感動で涙が込み上げてきました。つまらない誤解や行き違いでお互い分かり合おうとせず長い時間を無駄にしたけれどやはり心の奥底にはお互い愛しい思いだったと思うともっと早くに分かり合えていたらと残念に思いました。それでもこの世で分かち合えた事が何よりもよかった。この瞬間も私に大事な事を教えてくれました