mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

出会うべくして出会う嫁姑

 母もまた姑との確執を持ったままです。結婚してもう57年が経つけれど、そして姑はこの世にはもういないのに・・・

先日、二男の長女の初節句に私の両親と姑を招待しましたが、その翌日、母は私に

 ”あんたよかったな~お義母さん(私の姑)にあんなにいじめられたのにいい関係になれて。お義母さんも変わったな~”と言いました。

 ”そうだよ、いろんな事があったけど私はお義母さんがその時どうしてそうしたのか?やどうしてあんな事を言ったのか?とか思う事ができたし、お義母さんにはお義母さんで精一杯だったんだってわかってあげれたんよ。人には人の理由があるんだからお母さんもおばあさんの事わかってあげたら?”と言ってしまい・・・すると母は

”私はそんな風には思えんわ。どんな理由があっても私はあの人(姑)の事絶対許さんわ!”と。

 昔はまだ結婚したら長男夫婦は同居というのが当たり前でした。また商売もしていたので、仕事も手伝い家事、育児、父の下に弟、未婚の妹5人、姑という大家族の中へ。想像するだけで大変さがわかります。母も苦労をしたと思います。そんな中で姑へのゆがんだ感情は抑えるとこができず、私と同じように結婚して3年後別居したようです。私の時代でも”長男夫婦が家を出て”と近所や親せきから後ろ指を指されたくらいなので、母はもっと言われたと思います。自分を守るために必死だったのでしょう。それからは母は父側の

親戚とは冠婚葬祭以外の付き合いはあまりしなくなりました。私が生まれたのは別居後だったので、祖母と初めて会ったのは、祖父の法要の時で私は10歳の時でした。その後

祖母が住んでいた長屋が立ち退きになった為、祖母を父は迎え同居がまた始まったのです。同居とはいえ、今度は祖母の立場が居候のようになり、母は”あれが気にいらない、これが気に入らない”と姑のすることがすべて気に入らないようで・・・私は小さかったのでおばあちゃんに甘えたくてなついていましたが、祖母の悪口を言って遠ざけようとしていました。祖母は一人でご飯を作り部屋で一人で食べていました。孤独だったと思います。そんな祖母も84歳まで毎朝自転車に乗って約4kmある父の会社を手伝っていました。がある朝転倒してから体が不自由になり施設へ入り94歳で亡くなりました。施設から一時帰宅した時(荷物を取りに)、祖母は車に乗る際、もうここへ帰るのは最後と思ったのでしょう、母に”今までありがとう”とただ一言を掛けて行ったそうです。私はそれを聞いて母に

 ”その一言が全てだね。おばあちゃんの気持ち全てなんだよ。よかったね!ずっと言えなかったけどおばあちゃんはずっと母に感謝していたんだよ!もう許さなきゃいけないよ。いつまでも憎んでいたらいけない。みんな未熟なんだから。おばあちゃんも未熟だっただけよ。誰でもわからずしてしまう事もあるよ。完成された人ばかりなわけない。本当よかったね。”と聞いた私はうれしくて涙が出ました。母の長年の苦労が報われたような気がしました。

母はまだ”そうかな~”と言っていましたが・・・・お互いに何かを教え合う為に何かを気付かせるために出会うべくして出会い、縁あって嫁姑(親子)として出会っている。自分のカルマ(直さなければならない欠点)を克服するために。この世で克服できなかったらまた来世で出会う事になるんでしょうね。