mimiheartstepのブログ

知花敏彦先生の講和(CD・DVD)でこの世の真実を知ることができた。欠点だらけだった私が少しづつ変われていく。今、悩み苦しんでおられる方へ伝えられたら・・・

愛情の表現がお金でいい?

 ”お金”というのは生活できる程度あれば充分だと思いますが、それ以上あると厄介なものように思います。
 うちは父が会社を経営していたので比較的裕福だったように思いますが、決して贅沢をする家ではなかったですし、私達姉妹にも月々決まったお小遣いでした.。


 両親は戦争を経験したので、金融封鎖や食糧難など大家族での暮らしは大変だったという時代を生きてきました。
それだけに食べ物に対する意識も衣服に対する意識も私達が小さい頃ははっきりしていて、厳しく育てられました。
 戦争中は物が何もなかったので衣服も皆あるものを着ていたと言います。
3人姉妹の一番末っ子の私はいつも洋服は姉達のお下がりを着ていました。
 私達が幼い頃は出かける時には普段着より少しオシャレな ”よそ行き” という服を着て出かけ、でもそれは母が生地を買ってきたり自分の服をたおして手縫いしたものでした。

ソックスに開いた穴やズボンの膝に開いた穴なども母が夜なべをして繕ってくれていました。

小学校中学年の頃、既製品が大量に出回るようになるまではそうして物を大事にしていました。
また食事も 
 "食べ物を粗末にするな!出されたものは残さず食べろ!米粒も一粒も残すな!戦争中は米粒1粒でも貴重だったんだぞ。お百姓さんに感謝しないといけない” 
 と言われて育ったお蔭で私は何でも残さず食べる事ができますが、同じ環境でも姉達は好き嫌いをしていたり、同級生でも好き嫌いを言う人が多くいたので、そんな人を見ては食べ物に対する感謝が足りないように思いました。
 現在では、環境ホルモンの影響や添加物その他いろいろな原因で食物アレルギーなどの
摂取できない理由の場合ももちろんあると思います。


 そんな私は衣服(ファッション)に関しては、年頃から残念ながらそんな大事な事が薄れていったのです。やはり見た目の世界を重視してしまったが為に消費する事へ心が奪われ、真の自分に蓋をして仮想の世界に捕らわれ、お小遣いが入れば洋服を買ったり、オシャレにお金を使うようになっていったのです。その頃はまるで魔法にかかったようで大事な事(真の自分を見せるという事)にはとても気づけませんでした。


 結婚した頃や家を建て姑へ仕送りをしていた頃は経済的に余裕がなかったので倹約する事に必死で不思議とそういう事にお金を使う事はありませんでしたが、
 少し余裕が出てくると少ないお給料なのにどうしても欲しくなり毎月のように次から次から洋服や装飾品に費やしていました。今はそういう事がもったいないように思えます。

欲望を満たすためにお金を使うのですが、物では欲望を満たされるということはない為、田舎暮らしを始めるまでずっと続きました。

 愛情をお金で表現するという事がありますが、

うちの父は小さい頃から貧しく兄弟姉妹の一番上だったのでまだ幼い時から外へ奉公に出されました。小学校も時も新聞配達をして家族の生活を支え、働き詰めで、その為弟達は母親から愛情を受けて自分は受けていないという感情を持って生きてきました。

そしてお金があれば愛する人達の心をつかめると信じ、今でも思っているようです。

 私達が結婚してからはそれまでの物やお金に対する厳しさは緩くなり、姉達や孫たちにも住宅の援助や教育の援助、習い事の援助、誕生日、祝い事のお祝い金、子供保険・・・と ”してやっている” 事に浸っていました。

私達も住宅の援助をしてもらいました。それが間違いだったのです。したほうは、いつまでも ”してやった。してやった。” と恩着せがましく言うのです。それが言われる方は嫌になり、言われるくらいなら出してもらうんじゃなかったと思うようになり、姉達はどっぷり援助を受け続けていたようですが、私達夫婦はそれ以外の援助はお断りしました。

 自分がしてもらえなかった事を子や孫にしてあげたいという気持ちはわかりますが、それが果たしてその子達の為になるのか?という疑問を感じました。

 現に援助を受けた孫たちは大きくなりましたが、父(祖父)に感謝をしているかというと少々疑問です。

 お金をもらったところで所詮 ”泡銭”、自分で働いて稼いだお金ではないので大事に使う事はできません。援助を受けた孫たちはいつもお金に困っているようで自立もできているのかどうか・・・すぐ父(祖父)を頼ってきています。父が生きている間は何とか援助ができるのでしょうが、将来が心配です。親(姉達)は責任が持てるのでしょうか?

 うちは幸い援助を断ったので、上2人の息子達は自分の力でなんとか暮らしています。

結婚式の費用も自分達で貯金をして挙げ、私達は一般的なお祝い金を出したくらいです。

そんな息子たちが私は誇らしいです。


 現在の日本のお年寄りは裕福なので子や孫にできる限りの事をしてやろうとまた、

”おじいちゃん、おばあちゃん大好き” と言ってもらいたいが為 ”お金” を惜しみなく出していますが、それは自分達の自己満足であってそれがその子の生きる力を奪っているのでないかと危惧しています。いつまでも自立できず、誰かに依存し、その方が楽で苦労しなくても生きていけるという安易な考えになってしまうのではないかと・・・

 何度もその旨を伝えましたが、わかろうとしません。”お金はないよりあったほうがいい。あっても邪魔にならない” と言います。

 うちには孫が3人います。可愛いですが、なるべく手も出さず見守り、お金は出さず、知恵や愛情は伝えたいと思っています。

”お金”は使い方を間違えると恐ろしいものだという事を認識して次世代と接していこうと思っています。”お金”は自分で働いて得るものだという事を気づかせてくれたのはある意味両親かもしれません。